2022/05/17

『トカトントン』/太宰治《感想》この音が聞こえるとき、それは、……。さらっと読めても、何かを思わずにはいられない短編作品。



マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼(おそる)な、身と霊魂(たましい)とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」この場合の「懼る」は、「畏敬(いけい)」の意にちかいようです。 『トカトントン』


あらすじ&おすすめポイント
    音がする。トカトントン。頭の中で、音がする。私は敬愛する作家に、この悩みを打ち明けるため手紙をしたためるのだった……。

  • 太宰短編作品。深淵を覗きたい方。トカトントン最高です。

感想とネタバレ

これも読んでいてたまらない短編です。
この現象は誰しもあるものでしょうか??自分にもたまにこんな感じのことがあるので(え、ない?!)シンパシーがものすごくて、太宰の太宰たる所以だなあと読了してからじーんときました。 何かに熱中し続けていれば幸せなのでしょうが、何かをしていると必ず、ふっとそこから弾かれるように距離をとってしまうといいますか。違うことを考えてしまうといいますか。集中力がないだけですね(汗)

この作品の最後の文が、ぐっときます。
その文で、人が生きるための「答え」を提示しているのにかかわらず、悩み続けてしまう悲しみは、何かの本に書いてあった、壊れたレコーダーに近いものがあるような気もします。

こころのキズを何度も再生して固執して、同じことの堂々巡り……、人間のありがたい?機能である「忘却」もきかない恐怖……。

この手紙の返信で作家は、この音が聞こえている内は、自分のことしか考えていない、考えられていないから同情はしないよときつく、突き放したものいいから始まっています。
しかし、聖書を引用して、それではいづれ滅びゆくであろうことを主人公に伝え、そちらがわに堕ちてはいけない。「畏れ」なさい、とアドバイスしている優しい作家だとわかります。

まるで作家(太宰)が手紙の主(太宰)を叱咤しているかのようにみえてしまう作品。
「畏れ」をわかっている太宰の、しかし、全てをそれに殉ずることができない自分を恐れて叱咤しているといいますか……。

結局、畏れることが出来なかった。
畏れることができる、ということは、しあわせを理解する(100%の信仰ではない)ことに近いと思うので、彼はそういう意味では不幸だったのかもしれません。

現代日本人の一番の「畏れ」観は、『養生訓』の、現世利益に繋がる「身体を保つ心構え」の、「畏れ」がかなり参考になるのではないかと思います(自分が参考になりました…『はたらく細胞』もリンクして)。
といいますか、日本人の宗教観は基本的に現世利益(道教)ですので、中国古書や江戸時代などの書物を参考にすると学びやすいのかもしれません。聖書もいいですが。この作品からみると、罪(苦しみ)ばかり見てても八方塞がりでもある気がします……。


トカトントン!
さあさあ、この思考もトカトントン!
なんだか畏まって深いこと考えている風ですが、そんなもの!! 次に行きましょう!

トカトントン!!!!



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